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台湾の旧暦9月9日は「重九節」です。

重陽節(9月9日)幸福になっても,そのよってきたるところを忘れず、健康平安を祈願する

神々、先祖、地基主

旧暦9月9日は「重陽節」であり、9が二つあることから「重九節」とも呼ばれています。易経の中で、九は陽数(吉数)とされているため、9が二つあるこの日は陽が重なる「重陽」ということになります。そして、「九九」と「久久」(長く続くという意味)は同じ音であり、長寿と健康という意味があるので、重陽節は後に「敬老節」と位置づけられるようになりました。これは老年期にあたる人々の健康を長寿を願っていることから、昔の人々にとって祝うに値する吉日になりました。また、この有意義な日にもお供え物を用意し、神々、先祖、地基主を拝み、今ある幸せは先人たちのおかげでもあるという、根源を忘れずという気持ちが込められています。

 

 

このほか、9月9日は秋に差し掛かっており、昔の人々はこの秋の気持ちが良い季節に行楽を楽しんだり、遠出して、高台へ行き自然や景色を鑑賞したりすることが好きでした。また、重陽糕(ケーキ)を食べ、菊花酒を飲むなどとても味わい深い季節であり、重陽節には高台まで登ることが多かったため「登高節」ともいわれるようになり、重陽節は重要な行事の1つとなりました。

清明には柳をさし、重陽では茱萸(シュユ)をつける

 

昔の人々は重陽になると茱萸(シュユ)をつける風習があり、一説では柳の木同様、邪気を祓い病を治す効能があるとされています。言い伝えによると、春秋時代の呉茱萸、元の名「呉萸」はある日、呉国の使者により楚の王へ献上されましたが、自分の国の名がついたものを送るとはけしからんことだと思った楚の王は侮辱されたと思い、すぐさま呉国の使者を送り返しました。当時、楚国の朱という大夫(医者)は楚の王に「呉萸」の効能を説明しましたが、聞き入れてもらえませんでした。朱大夫はこっそりと「呉萸」を手元に留めておきました。少しすると、楚の王は腹痛の発作に襲われ、冷や汗が収まらず、どうすることもできないでいた際、朱大夫は急いで呉萸の煎じ薬を楚の王へ献上しました。楚王は一度服用しただけで治りました。その時、初めて王は自分が呉国に無礼なことをしてしまったと後悔し、人々に大量の「呉萸」を植えさせたといいます。数年後、楚の国では疫病が大流行し、多くの民が腹痛と下痢に襲われましたが、皆「呉萸」のおかげで治ったといいます。楚の国は朱大夫は命の恩人だと感謝し、記念として「呉萸」の名を「呉朱萸」としました。

知らないといけない祝典豆知識

①9月9日重陽節では九九と菊酒の音がとても近いため、菊花酒をのむようになりました。また秋は菊の花が咲くころであるので、9月のことを「菊月」とも呼ぶようになりました。

 

②唐宋時代の重陽節はとても糕餅(お菓子)にこだわりがあり、中秋節に月餅を食べると同じくらい重視していました。「糕(こう)」は「高」と同じ音であることから、昔の人は糕餅を食べることで「地位や生活が高いところまで昇る」象徴とみなしていました。

 

③古代より文人たちは重陽節の際は高台に登り、遠くの山河を眺めながら詩を詠むのを好みました。現代では、重陽節では山登りをして健康を維持する行事になっています。週末を使って老若男女問わずこの日は自然豊かな場所へ行くことを楽しんでいるといいます。

編集部だより
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