台湾の端午の節句は何をする日?!

端午節(五月五日)端午に拝めば、好運来る。平安健康財が成る

神様、先祖、土地神様

旧暦の五月五日は端午節であり、春節や中秋節と並んで三大節句の一つにあたります。

 

端午節の由来はだいぶ昔まで遡りますが、当時旧暦の5月を過ぎると、どんどん暑くなって、炎天となり、蚊や蠅が繁殖し、病気が感染しやすいことから、昔の人々は菖蒲、蓬(よもぎ)、ザクロ、ニンニク及び山丹(ひめゆり)このご種類の植物を毒性の強い伝染病などを除去するために用いてきました。そして、端午の日に拝拝するのは「邪を駆除し、悪を避け、心身の平安を祈願する」ためとされてきましたが、後に愛国心豊かな詩人屈原の伝説が付け足され、更に端午節の重要性を助長することになりました。

 

端午節の日には、記念行事となる風習が色々あります。愛国心豊だった詩人屈原を記念し粽を食べたり、ドラゴンボートを漕いだり、雄黄酒(解毒作用があるとされる、鶏冠を入れたお酒)を飲んだり、玄関に魔除けとして菖蒲、蓬(よもぎ)などの枝葉を掛けたりしますが、いずれも端午節の特色を加えたと言うことができます。

端午節の伝説

 

端午節の由来については色んな節があります。その中でも一番よく知られている二つをご紹介しましょう。

 

(一)屈原の自害

屈原が楚の懐王に進言をしたところ、懐王は彼の言葉を信じなかっただけでなく、彼の職を解いてしまい、城から追い出してしまいました。城を追い出された屈原はこの時多くの国と民を憂いた詩を書き、やがてそれらは著名な詩となりました。その後、楚が秦に攻め入られたことにより、屈原は全ての希望が奪われたと思い、旧暦の五月五日に汨羅江(べきらこう)飛び込み、殉国者となりました。民は国を愛した詩人屈原を記念すると同時に、彼の死体が川にいる魚類などに食べられてしまわないかと心配し、竹の葉で包んだご飯をたくさん川に投げたと言われています。これが後端午節で粽が食べる習慣の由来です。

 

(二)白蛇伝

白蛇(白蛇の妖怪)白素貞と人間である許仙が夫婦になってからも、端午節の日まではずっと両者は愛し合っていました。その日、白蛇は誤って雄黄酒を飲んでしまい正体がバレてしまい、自分の旦那をショック死させてしまいました。旦那を深く愛していた白蛇はいろんな手を使い彼の魂を呼び戻しました。最初はもとの平穏な生活に戻ることができるとおもっていましたが、法海とお坊さんに出くわしてしまい、邪魔をされ更にすべてを壊されてしまいました。白蛇は許仙の子を宿していましたが、子どもと一緒に過ごすことができなくなってしまいました。その後、更に物語は続き、水淹金山寺(水害が金山寺を襲う)など名作が生まれました。

知っておきたいお節句豆知識

①以前女性はシルクの布で巾着を作っていました、中には香料などをいれて持ち歩いていましたが、菖蒲や蓬動揺、邪気を祓う作用があり、端午節に身に着けるようになりました。今ではこの巾着は様々な可愛い形で作られ、実際の作用よりも、ファッション性が強くなっています。

 

②蓬、バンヤンツリー、菖蒲を赤い紙で束にまとめ、玄関に魔除けとして掛けておきます。菖蒲は端午節で使う5つの植物のうち一番重要です。それは葉っぱが剣の形をしていることから、「蒲剣」と言われるようになり、何千もの魔を斬ることができるとされています。

 

③愛国心に富んだ詩人屈原が端午節の日に身投げをしたことで人々は船で彼を助けに向かったことが後にドラゴンボートを漕ぐ習慣が始まるきっかけとなりました。今ではドラゴンボートレースは端午節で一番盛り上がるイベントとなっています。

編集部だより
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