台湾の元宵節(旧暦1月15日)って何?

元宵節(旧暦1月15日)

元宵節
三界公(三官大帝)、祖先

毎年旧暦1月15日の元宵節の頃になると、灯篭鑑賞や湯圓‐タンユェン(白玉団子)を食べるなどの風習があり、雰囲気がとても賑やかになることから、「小過年」‐シャオクォーニェン(プチ正月)とも呼ばれています。また、新年を祝う行事は年始から15日のこの日を以て正式に一段落し、全てがいつも通りの日常に戻ります。

 

元宵節でお祀りするのは三官大帝です。三官大帝とは「上元賜福天官紫微大帝」、「中元赦罪地官清虚大帝」、「下元解厄水官洞陰帝」のことを指し、道教においての地位は玉皇大帝に次ぐ神様です。「上元賜福天官紫微大帝」は1月15日に誕生し、「中元赦罪地官清虚大帝」は7月15日、「下元解厄水官洞陰帝」は10月15日にそれぞれ生誕していることから、台湾の人々の間ではこの三官大帝の総称として「三界公」と呼んでいます。この三名の神は人々の生死や命運を司っています。

 

これにより、人々は福がもたらされるよう祈願するため、上元節のこの日に統一してこの三名の神をお祀りすることにした上、福を祈願し、邪気を祓う意味を込めて、リボンなどで装飾された灯篭を飾ります。祭典・儀式以外にも、多くの廟などではこの日に灯篭展示会場を設けたりクイズ(なぞなぞクイズ)などのイベントを行たりするなど、人々と共に祝い、賑わいをみせています。この日は台湾の風習の中でもとても重要な一つの節句と言えます。

元宵に湯圓を食す

 

元宵節で湯圓を食べる風習は南朝時代にはすでに始まっていましたが、当時食べられていたのは細かい肉と一緒に煮込まれた豆粥または米粥で、唐の時代に入ると、元宵とは蚕の形をした麺と焼き饅頭でした。宋の時代になり、糯米に糖を加えて作った湯圓になりました。その後、これは元宵節の時期にだけ食べられることから、「元宵」と呼ばれるようになりました。

元宵は各地域の風習によって、湯圓の中身や味が様々です。お肉、ゴマ、ピーナッツ、ナツメ、桂花などなどがあります。どうであれ、元宵節に湯圓を食べる習慣は台湾では根深い伝統的な風習になっています。

知らなくてはならない祭典豆知識

①元宵節またの名を燈節と言います。燈(デン)と丁(ティン)の音が似ていることから、燈篭を飾ることと求子添丁(子宝・出産祈願)をかけて、元宵節が更におめでたいことを表しています。

 

②寺や廟によっては元宵節の際に「乞亀」‐チークェイというイベントが行われ、子宝、財運、長寿祈願をする。「乞亀」‐チークェイが行う際、廟では「麵龜」‐ミィエンクェイ(小麦粉で出来た亀の形をしたもの)を用意し、信者が擲筊‐ツーチャウをし、神様に頂いてもいいかをうかがう。もし、神様から許しが得られれば、「麵龜」を持ち帰ることができ、平安祈願又は本願が成就できるとされています。更に祈願したことが達成された暁には好運が続くよう、倍以上の「麵龜」を用意し、他の人々の為にお供えし祈願します。

 

③元宵節の日には「蜂炮」- フォンパォ(ロケット花火)を打ち上げる習慣があります。この日は神々が輿に乗って地域を巡るので、ロケット花火を打ち上げることで、神の威力を引き立てる役割があると同時に、疫病や災いを追い払う意味も込められています。

編集部だより
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