今こそ神頼み!台湾の病を治す神様!

関聖帝君 邪気を祓い病気を治し、財を求め未来を祈願

関聖帝君

台湾の関聖帝君への信仰で最も古い時代は南明時代鄭成功の軍隊が台湾にやってきた頃まで遡ります。今の台南市にある開基武廟と祀典武廟はその頃に建てられたものです。このころより、関帝への信仰が始まり、台湾各地に普遍的に伝えられ、今となっては台湾全土には百四十余りの関聖帝君の廟があり、民間がいかに関聖帝君を崇拝し、信仰しているかがわかります。

関聖帝君は民間でいう「関公」、「関帝爺」のことで、軍人にとって武神、商人にとって財神であり、儒教の者は文衡聖帝と呼び、道教においては協天大帝、伏魔大帝、仏教では蓋天古佛として崇められています。

 

《台湾省通志》中の記載によると、台湾地区で関聖帝君を祀り始めたのは南明の頃(明永年間)であり、関聖帝君の忠義精神が当時の清を倒し、明を復興させ、国を救い、民を救うという政治的背景に似ていることから、関聖帝君を祀ることで人々を励まし、啓発させていたそうです。

 

清の時代になり、清朝政府の支持のもと、台湾住民が清朝に忠誠を抱いてくれるよう、更に台湾をコントロールするために「関聖帝君」の「赤胆忠心(厚い忠誠心をもった心)」を前に出し、色々な神話を作り出し、台湾の人々が「関聖帝君」を慕い、崇めることを励まし、明の寧靖王府の関帝廳を「武廟」として建設し、「文廟」(全臺首學)と同列で祭祀の典礼を行い、春、秋には祭を行い、関公と孔子をそれぞれ武聖と文聖と称しました。このことからもいかに関聖帝君が重要視されていたのかが伺えます。

 

関公の信者は多くの業種にまたがっており、関公の正義心は人々の中で公正な判断で、人々に道(もともと進んできた道)を返してくれるに違いないというイメージとなりました。多くの家中では関公を祀り、会社名義で祀ることも多い。関公の正義心溢れるイメージ以外に、商人たちは商売が順調に平安に運ぶ守護神として崇め、財神として祀っています。

 

台湾の民間における信仰心は極めて包容性があり、それぞれが信仰する神々は儒教、釈教(釈迦の教え・仏教)、道教の3つから来ている。そんな中、関聖帝君がもつ威武さ、並外れた勇敢さのイメージは宗教を越えて人々の需要な心のよりどころになりました。

TIPS

口訣(唱え言葉)

 

お線香を焚き、信者の氏名、旧暦の生年月日と干支、住所、お供え物と金紙を関帝聖君のために用意したことを伝え、関帝聖君のご加護により仕事(事業)が順風満帆に進み、身の回りの良くないことから遠ざかれるよう祈願する。

 

 

何を準備し、いつ拝めばいいのか?

 

お供え物

熟した三牲、菓子、生花、お茶3杯、お酒3杯、蝋燭1対、金紙3種(壽金、刈金、福金)

時間

①一日、十五日ともに家中で主神にお供えし、拝む。

②旧暦6月24日関聖帝君誕生日(旧暦1月13日または5月13日を帝君生誕とするところもある)

神様ミニ百科

 

商業界の守護神

言い伝えによると、関公が若かりし頃、故郷で生地屋を営んでいたそうです。生前得意としていたことは算数と記帳をすることであったため、現代の帳簿と同じような「日清簿」(または「簿記」)と呼ぶものを発明しました。その他、関公が使っていた青龍偃(エン)月刀がとても鋭「利」であり、商いで求める「利」と同音なことから、「利」を求めている商人たちは関公を拝み、そこから情義を学び、更に関公を商業界の守護神として崇めています。

 

降妖伏魔(妖怪を降ろし、悪魔を伏ます)神

民間信仰では、人が病を患うことや、不幸に見舞われることは鬼や悪魔の仕業とされてきました。伏魔大帝と呼ばれた関公は、このことから、悪魔祓いをし、病を治してくれる神さまとして人々が祈るようになり、一部の関帝廟内には藥籤‐というお御籤がおかれています。

 

 

参拝方法

 

①お供え物をテーブルに用意し、蝋燭を点けます

 

②お線香を焚き、神に向かって心からお祝いを伝え、自分(氏名を伝える)は関聖帝君のためにお供えものと金紙を用意してきたことを伝え、関帝聖君のご加護により仕事(事業)が順風満帆に進み、身の回りの良くないことから遠ざかれるよう祈願する

 

③お線香の2/3が燃えるまで待ち、供えた金紙を三拝してから燃やす

編集部だより
メルマガ登録