徳正神 拝むと富と財運がどんどんやってくる
土地公さまは大地万物を守ってくださっている土地の神であり、古い言葉で「有土斯有財」‐土地又は家屋を所有してこそ財があるというように、人々の間で土地公さまは福の神としてあがめられてきました。各家々では一日と十五日に土地公さまのところお参りにいくだけでなく、商売をしている店舗などは二日と十六日にお供え物を用意し拝み、商売繁盛、業績アップを祈願します。一説によると土地公さまは慈悲深い方であるため、求められればそれに応えるということから、たくさんの信徒を得ています。また、土地公さまの為に捧げるお線香の数はほかの神々と比べても一、二を争うほどの量です。
福徳正神の姓は張、名は福徳、紀元前1134年2月2日生まれ、生まれつき賢く、とても孝順であり、徳業(人徳と功業)をよく積み、周の武王24年には朝廷の総税官(税務担当官)の職に就いたといわれています。
福徳正神が官吏であった際、民を愛し、人々の苦労を思いやり、深く親しまれていました。彼は生涯官吏でしたが清廉で公正(心が清らかで私欲がないこと)でした。周の穆王3年に死去、享年102歳でした。
張福徳は逝去されてから3日間容貌変わらず、人々はこぞってその様子を見に行き、珍しいことが起きたと言っていたそうです。また、人々は官吏として清廉で公正であり、慈愛の心で人々に接していた彼を偲んで、1人の貧民が石造りの家屋を改装し祠を造り彼を祀ったところ、間もなくして、貧しかったこの家は財を成したと言われています。この話は瞬く間に広がり、人々は神のご加護があったと信じ、福徳堂をこぞって建設し、更に金の像を立て、それを撫でて参拝していたそうです。
周の穆王が封号「后土」を授け、「福而有得千秋敬, 正則為神萬世尊」という一対の言葉(対聯)を送った事から、後世の人々は土地公さまを福徳正神と呼び、守護神として祀ってきました。
「有土斯有財」この言葉は人々の土地への関心、そして人々の土地公さまに対する普遍的な信仰は「田頭田尾土地公」(田んぼの前にも、後ろにも土地公さま)、「莊頭莊尾土地公」(村の前にも、後ろにも土地公さま)、この2つ諺からも垣間見ることができます。
口訣
お線香に火を点けたら、自身の名前、旧暦の生年月日と生まれた時間を表す干支、住所を伝え、その日に準備した生花、三牲(肉類)、果物、お菓子等を福徳正神にお供えをし、「十方土地公さま、お受取りください。そして、私をどうか過ちから遠ざけ、物事が安定し、財源が広がり、人々に愛され良縁を気づくことができますように」と願います。
台湾の土地公さまは頭には頭巾を、身体にはマントを着けていて、髭は長く、頬は丸くて赤く、一方の手には杖、もう一方の手には元寶(昔のお金)を持っていて、椅子に座って、微笑んでいる姿はとても親しみやすく見えます。
昔の人々は病気、外出、殺生(豚を殺す際)、家を建てる時や無実の罪に問われた時、身震いする出来事があった時など、事あるごとに土地公さまの元へお参りにいったこともあり、土地婆さま(土地公さまの奥さま)は同情心が働きやすい土地公さまに不安を抱いていたといわれています。土地婆さまはどんなことも因果があるため、土地公さまは軽々しく人々の願いに応えるべきではないと思っていたこともあり、「悪婆」と呼ばれていました。ごく少数の民衆が今でも彼女をお祀りしています。
参拝方法
①順番通りに生花、三牲(肉類)、お酒、果物、發粿(蒸しカステラ)、麻糬(お団子)、麦芽糖(麦芽飴)、米荖(おこし)をテーブルに用意します。
②お線香3本に火を点け、自身の名前、旧暦の生年月日と生まれた時間を表す干支、住所を伝え、その日に準備した生花、三牲(肉類)、果物、お菓子等を福徳正神にお供えをし、「十方土地公さま、お受取りください。そして、私をどうか過ちから遠ざけ、物事が安定し、財源が広がり、人々に愛され良縁を気づくことができますように」と願います。
③お線香をさしてから、湯呑またはおちょこがいっぱいになるまで中身を注ぎ入れます。
(お茶かお酒だと思うのですが、何で満たすのかは書いてありません。ちなみに私の家のしきたりではお酒かお水です。)
④15分ほどしてから、土地公さまに金紙を燃やしてもいいかお伺いを立て、もし聖筊が出れば、卓上の金紙を下し、三拝(3度拝む)してから焼きます